本日、我が家に新車がやってきました!
車種は、スズキ・スイフト。
1.3の廉価グレードをベースにした特別仕様車。ベージュが設定されてるのがこのグレードだけ、ということで、
家族の意向によりこのグレードになりました。本当は他のグレードのがさらに内容は充実してるんだけどな…

しかしこの車、内装もベージュで、これが意外に似合っています。
あと、ボディカラーも、落ち着いた色合いながら、暗い感じの色調ではないので、なかなかいい感じです。
あと、安グレードでも前後6スピーカーついていて、純正オーディオとしてはけっこう良い音質なのもポイント高いですね。
納車早々、VTR接続コードなるものを購入してきて、これで音楽プレーヤーと接続できるようにしたので、
ドライブ時の音楽にも困ることがなさそうです。
あとは1000キロほど、慣らしだー。
2006年10月08日
納車!
2006年10月06日
NHK時計。
このブログの左側に、NHK時計なるものをつけてみました。
↓ここで入手できます。
http://www.nhk.or.jp/lab-blog/02/999.html#more
NHK時計というと、昔は「プッ、プッ、プッ、プーン♪」っていってる時報の画面で、
表示されてるあの時計。
近頃はめっきり見なくなったと思ったら、こんなところで復活!
普段NHKなどあまり見ないわしですが、こーいうのは大好きだったりするのです…
ちなみにNHK時計って、実物をカメラで撮ってたようですね。
しかも名刺大のサイズ。
これは意外でした。てっきり画面上のものだと思ってたので…
2006年10月05日
この季節にはやっぱり月餅、かな。
- 月餅。
広東語では「ゆっぺーん」と発音する、中秋節には欠かせないお菓子です。

うちの母親が、きのう香港から帰ってきまして、
季節柄、お土産は月餅でした。
(もしかしたら、父親の会社で余ってたのを持ってきたのかもしれない)
月餅に、「東海」と書いてありますが、これは「JR東海」や「東海大学」が出しているわけではなくて、 - 「東海海鮮酒家」という、香港では割と名の知れたレストランのもの。
お菓子メーカーだけでなく、レストラン関係もけっこう出してたりします。 - 日本で例えたら、「なだ万」あたりが月見団子を出しているようなものでしょうか。
- なお、香港には「東海堂」というパン屋さんもありますが、「東海海鮮酒家」とは関係ないようです。
香港にいたことのある私には、なんとも懐かしいものがあります。
今日は、前回の記事で触れた、月餅を友達からもらった事を思い出したりしながらおいしく頂きました。
http://williams.seesaa.net/article/23523987.html- ↑前回の記事。よかったらご覧ください。
ちなみに2年前にもらった月餅の銘柄は「奇華」(ケイワー)です。
あと香港の月餅の銘柄で最も気になる銘柄は「名古屋」です(笑)
というわけで香港の月餅について詳しく書かれてるのはこちら。名古屋ついても書いてあるよ。
http://www.hongkongnavi.com/miru/miru_r_article.php?id=69
↑わしの以前いた会社のサイトなり。宣伝ですんまそん
2006年10月03日
阪急阪神ホールディングス って?
- 最近スタートしましたね。阪急阪神ホールディングス。
- 私には、「飯能給食センター」と「飯能信用金庫」が合同で設立した持ち株会社、
「飯給飯信ホールディングス」に聞こえてしまう今日この頃。

写真は、本日人身事故でしばらくの間「運休」になった西武新宿線特急の券売機。
特急券売機の正しい姿 はこちら。

最近、特急レッドアローの4号車が禁煙化され、西武鉄道の施設内で喫煙可能な場所がなくなりました。- で、今まで 「喫煙 空席あり」「禁煙 空席あり」と書かれてた部分が、
ただ単に「空席あり」という表示に変わりました。
見慣れないとちょっと間抜けですねー。
なお、ヤニで黄色くなったシートおよび内装は、今月前半までに交換を終わらせるそうです。
2006年09月10日
誕生日とやらにかこつけて、久々に書いてみるテスト。
- ども。皆様お久しぶりです。
- 気がついたら、1ヶ月以上放置してしまった・・・
- ネタはあっても、書く時間及び気力がない というのが実態でした。
というわけで、気がついたら今日は誕生日、
これにかこつけて、わしの誕生日にまつわるつまらんことを久々にだらだらと書いてみることにしました。
さて、もう日付変更線は通過してしまいましたが、9月の9日 がわしの誕生日。 - おととしあたりに、大塚愛と誕生日が同じだと言う事を知って、ちょっとびっくりしたことがあります。
大塚愛 はさておき、中学の頃に、同じクラス(だったかな?)の女子で誕生日が同じ人がいまして、 - その人と比べてみると、明らかにわしの方が性格云々やらオツムの出来やらが、だいぶ劣っているので、
当時のわしは、「占いの世界では、生年月日で占うんであれば、同じ結果が出るわけだ。だとしたら、 - これはインチキではないか!」と思ったことがあります。生年月日で占う占いが正しいのであれば、
- 基本的に性格云々がその人とある程度一致してなければおかしいんじゃないか、というのが根拠なわけですね。
今もこの考えは変わってはいません。が、あまりにも幼稚かつ単純な発想だ…
話はころっと変わり、ここ数年誕生日はなぜか国外にいることが多かったので、 - 今年は予定外にも!?日本で過ごすことになりました。
ちなみにここ数年でいうと、2002年は上海、2004年は蘇州と上海、2005年は香港でしたので、
なぜか日本の外にいる割合が高いんですよね。。。
そのせいか、毎年毎年が忘れられないものになってます。2003年については記憶から消えていますが。 - 去年の誕生日は、香港の玩具メーカーS社で働いていました。
定時を過ぎてから、会社の会議室で同僚とケーキを食べたのは懐かしい思い出。 - 結局、S社は、諸般の事情によりほぼその月いっぱいで辞めたわけですが…
しかし去年と比べると、なんだか進歩してない自分がいるのが嫌だな、、、 - S社が一番最初の会社で、モロ新入社員だったわけですが、
1年経った今でも、東京の某社で相変わらず新入社員やってるし…
しかも仕事はうまくいかんときたからな…本当に進歩ないなぁ><
しかしそんなこといってもしょうがないので気を取り直していきませう。
一昨年は、大学のビデオ教材プロジェクトで、中国にいました。- わしは、香港からの往復チケットで別行程にて上海入りしていたので、
- 取材終了後に2日間の空きができたことから、大学で環境科学を教えていらっしゃる
- 某M助教授(この回のスペシャルゲストでした)とそのゼミ生2人に便乗して蘇州まで足を伸ばしたのでした。
蘇州それ自体もなんとも思い出深いものでしたが、この年の誕生日が忘れられないものとなったのはその後、
上海に戻ってからでした。
上海に戻ってから、4円…いや違った豫園に行ったのですが、
そこで夕食を食べていたときの事でした。
いきなり照明の一部が消えて、かかってた音楽が変わったのですよ。
で、♪Happy Birthday〜 とかかったわけです。
奥のほうの席の人たちは、どうやら誕生日のディナーだったようで、その後バースデーケーキのローソクを吹いてました。 - で、これを見たわしは、「そういえば今日はわしも誕生日だったな」みたいな事をチラッと話したわけです。
すると某M助教授、なんとレストランの人に「ケーキはありますかぁ?」と頼んでくれたのです!
そしたらレストランの人は、なんと近所のスターバックス(!)に行ってケーキを調達してきました。
かくして、M助教授の機転によって、ささやかながらも忘れられない誕生日となったわけでありました。
「M先生とゼミ生のみなさん、本当にありがとうございました!」
その後香港に戻ったら、香港在住の友達が月餅をプレゼントしてくれました。
渡すときに、箱の底に書いてある「香港製造」ってのをやたらに強調してました(笑)
まぁでもこれは決して笑い事ではないようで、大陸製のは粗悪品も多いからなんですけどね。
日本に帰って開けてみたら、とても美味しかったです。
これもまた、忘れられない味となりました^^多謝!!(トーツェー・広東語でありがとうの意なり。)
話は前後しますが、その年に埼玉の川越で知り合った香港人の友達3人組(月餅の人とは別の人です。)のうちの一人が、
9月8日に誕生日だというので(たった1日違い)!、上海からSMSを送ったのですが。
すると、彼女からはこんな返事がきました。
「メッセージありがとう。あなたにとっての明日が、私にとっての今日と同じように充実した日になりますように」
(↑いい加減ながらも日本語訳。)ですって。
うれしかったなぁ。。。
と、つまらん思い出ばっかり語ってしまいました。
今年はというと、我が家で買う車を見に、近場のディーラーを回っていました。
どうなることやら。。。
2006年07月15日
マイミク記念!わしのおった所ば紹介するシリーズ(南島原市編・前編)
というわけで無事に死んだ医者あかつきと、のぞみのかなうという電車を乗り継いで東京に着いたはいいが、その足で有楽町に出勤とあいなったわしであります。しかし雨天につき商売あがったりでいらいら…
気を取り直して、今回は南島原市(当時は北有馬町)に関するあれこれを書いてみましょう。
私の古里であるところの北有馬にいたのは1989年、ボキャ貧な平成おじさんが突如出現し、体操して礼こと大葬の礼が終わって早々の年でした。
まだファミ○も地元スーパーのパ○スもなかった頃の話です。(勿論当時スーパーが一軒もなかった訳ではない)
それまでは横浜にいたので、北有馬には毎年帰ってはいたからなじみはあったものの、住んでみると相当なギャップがあったのは否定しようのない事実でした。
たとえば、今は残念ながら廃校になってしまった田平小学校に通っていたのですが、学校には毎日山道を歩いて通っていました。時間にしてどのくらいだったかは失念してしまいましたが、それまでは平地をちょいと歩けば幼稚園に着いていたのからすると、たいそうな違いなわけです。
そんな環境の中で、じいさんばあさんに囲まれながらのびのび?と育っていったようではありますが、しかし当時のわしはなにやらとんでもないガキだったようで…そのへんの記憶は都合よく?消去されていたようですが、其の事をよーく覚えてらっしゃった方に、17年ぶりに曝される事となり、かなり赤面ものではありましたね。わし自身はそれから17年経っても、まともな大人にはなれておりません、念のため。
一年間の北有馬での生活を終えて、台湾に行ってからも、毎年夏には帰ってたわけですが、其の度に少しずつ変化は生じてるわけですね。
個人的には、地元スーパー、パロ○のオープンはちょっと印象的でした。
なぜなら、当時パ○スの鮮魚売場にディスプレイされていた舟盛り用の木製の船に、マジックでやる気なく『○ロス号』と書かれていたのが脳裏にこびりついて離れなかったからです。当時のわしにはネーミングがかなりツボにはまったのでしょうね。もう少し和風に『第三○×丸』とかにしろよ、とか。ちなみにパ○ス号は現存しません。
あと呼び込みのエンドレステープのBGMが、夏だというのになぜかドリカムのスキーに行くような内容の歌詞の曲で、しかも変な所で突然ブチッと終わるのが繰り返されたりとか。変な事ばっかり覚えてる自分にツッコミどころ満載。
後編に続きます
気を取り直して、今回は南島原市(当時は北有馬町)に関するあれこれを書いてみましょう。
私の古里であるところの北有馬にいたのは1989年、ボキャ貧な平成おじさんが突如出現し、体操して礼こと大葬の礼が終わって早々の年でした。
まだファミ○も地元スーパーのパ○スもなかった頃の話です。(勿論当時スーパーが一軒もなかった訳ではない)
それまでは横浜にいたので、北有馬には毎年帰ってはいたからなじみはあったものの、住んでみると相当なギャップがあったのは否定しようのない事実でした。
たとえば、今は残念ながら廃校になってしまった田平小学校に通っていたのですが、学校には毎日山道を歩いて通っていました。時間にしてどのくらいだったかは失念してしまいましたが、それまでは平地をちょいと歩けば幼稚園に着いていたのからすると、たいそうな違いなわけです。
そんな環境の中で、じいさんばあさんに囲まれながらのびのび?と育っていったようではありますが、しかし当時のわしはなにやらとんでもないガキだったようで…そのへんの記憶は都合よく?消去されていたようですが、其の事をよーく覚えてらっしゃった方に、17年ぶりに曝される事となり、かなり赤面ものではありましたね。わし自身はそれから17年経っても、まともな大人にはなれておりません、念のため。
一年間の北有馬での生活を終えて、台湾に行ってからも、毎年夏には帰ってたわけですが、其の度に少しずつ変化は生じてるわけですね。
個人的には、地元スーパー、パロ○のオープンはちょっと印象的でした。
なぜなら、当時パ○スの鮮魚売場にディスプレイされていた舟盛り用の木製の船に、マジックでやる気なく『○ロス号』と書かれていたのが脳裏にこびりついて離れなかったからです。当時のわしにはネーミングがかなりツボにはまったのでしょうね。もう少し和風に『第三○×丸』とかにしろよ、とか。ちなみにパ○ス号は現存しません。
あと呼び込みのエンドレステープのBGMが、夏だというのになぜかドリカムのスキーに行くような内容の歌詞の曲で、しかも変な所で突然ブチッと終わるのが繰り返されたりとか。変な事ばっかり覚えてる自分にツッコミどころ満載。
後編に続きます
マイミク記念・私のおった所ば紹介するシリーズ!のまえがき
さて、ただ今突然の帰省を終えて、寝台車に乗っているわけですが、わしの田舎にして本籍地であるところの南島原市には、実は生まれた直後と小学1年の時しかいなかった訳ですね。
気がついたらあれから早17年、もう当時の人とは連絡も取れんじゃろう…と思ったら、何とまぁミクシィでわしを捜し当ててくれた人がいたわけでして。なんだかびっくりしたと同時に、これまでわしのいた場所の中で、もっともミクシィでも見つけられる確率の低いであろう「南島原市」つながりな人が出てきたというのがうれしかった訳です。(これまでに東京と台北と大学つながりの人は見つかってる)
そんなこんなで、これまでわし
の住んでいた色々な所についてシリーズで書いてみたいなんて思ったわけです。
第一回目は、早速「南島原市」から行きましょう。(つづく)
気がついたらあれから早17年、もう当時の人とは連絡も取れんじゃろう…と思ったら、何とまぁミクシィでわしを捜し当ててくれた人がいたわけでして。なんだかびっくりしたと同時に、これまでわしのいた場所の中で、もっともミクシィでも見つけられる確率の低いであろう「南島原市」つながりな人が出てきたというのがうれしかった訳です。(これまでに東京と台北と大学つながりの人は見つかってる)
そんなこんなで、これまでわし
の住んでいた色々な所についてシリーズで書いてみたいなんて思ったわけです。
第一回目は、早速「南島原市」から行きましょう。(つづく)
2006年07月13日
突然の帰省。
一昨日に、帰省が突然決定しまして、慌てて福岡経由で島原半島に行ったとです。
福岡では、前から一度行ってみたかった屋台でハシゴをしてしまいました。福岡の屋台は、台湾の夜市と位置づけが似てる気がしましたバイ…(詳細は後日Upします)
しかし諸般の事情により、明日の夕方には帰らないかんとです…もう少しゆっくりしたかったです…
ちなみに南島原市北有馬町にある父方の実家は、電波が全く入りません。デジタルディバイドという言葉の意味がよー解りました。
福岡では、前から一度行ってみたかった屋台でハシゴをしてしまいました。福岡の屋台は、台湾の夜市と位置づけが似てる気がしましたバイ…(詳細は後日Upします)
しかし諸般の事情により、明日の夕方には帰らないかんとです…もう少しゆっくりしたかったです…
ちなみに南島原市北有馬町にある父方の実家は、電波が全く入りません。デジタルディバイドという言葉の意味がよー解りました。
2006年07月02日
赤道の近くまで逃亡レポートA「友情は宝なり…」前編
- なんともくさーいタイトルではありますが…それはさておき、
MRTに乗って、郊外のほうへ行ってきたわけですな。
LRTという名の無人運転型電車も乗ったぞい。
ひとことでいえば、空港内の電車が団地の中を走っているような雰囲気でした。

ちなみに内装も空港電車のような感じ。
あと、団地に接近すると、プライバシーガードとして、窓ガラスが自動で白く曇るようになっています。
このLRTを途中下車したところから、てきとーなバスに乗って行こう、ということにして、
「Marina Square という行き先ならとりあえず他のMRT駅に行けそうだ」ということで、 960番という連接のバスに乗りました。
このMarina Square というのは、実はもろ市街地(というかウォーターフロントエリア)でした。
その近くでとりあえずプリペイドSIMカードを購入するわけですが、これが後でえらいことになるとは夢にも思っていませんでした。
それについてはまた次回…
さて、さっそく購入したSIMで友達に連絡をとるべく、SMSを送ってみました。
するとそのうちの一人が、さっそく電話をかけてきてくれまして…
驚くべきことに、彼女の職場は今わしらがいるところのすぐ近所だというのです。
偶然というのはなんとも恐ろしいものです…
そこで、さっそくそこまで行ってみることにしました。
この友達には、「桜の塩漬け」の配達を頼まれているので、それを届けるのは今回の旅行の重要な目的なわけです。
なんでも彼女の勤務先は、「Esplanade」という、海辺にあるところなんだそうで…
しかし無知なわしは、そこをただのオフィスビルだと思っておりました…失礼!

この巨大なドリアンみたいなのがEsplanade。中身は劇場やアートセンターなど。
地下道をたどりながらようやく到着。
5分で着く、と言われたものの、結局それ以上かかっているのは明らかではありました。
(この地下道、結局その後何度も通ることになりました。)
というわけで、Esplanadeの入り口で友達であるLさんと対面。
スタイルがよく、物腰の柔らかい人でしたぞい。
彼女の勤務しているお店へ行ってみました。
ここのオーナーは、上のフロアで、畳の専門店(誰だ、街の畳屋さんを想像してるのは? インテリアとしての畳を提案してるお店)と、
下のフロアで、喫茶店をやっているようで、彼女は喫茶店のほうにいました。
とりあえず見せてもらって、お店の外で桜の塩漬けを引き渡し。
(Lさんおよび店長さん、仕事中にごめんなさい!)
※喫茶店訪問についてはまた後日…
というわけで後編につづく
2006年07月01日
赤道の近くまで逃亡レポート@どんより天気の曇り空の下で…
- 6月23日。深夜にチャンギ空港に到着したところから今回の旅は始まります。
(新しくなった成田空港第一ターミナルはどうしたって?あんなのレポートする価値ナシだ。)
チャンギ空港は、世界でも有数の利便性を誇る空港、それゆえ始発電車の出るまで空港でじっとしてよう、と目論んだわけですが…
入国審査を通過した先には、バーガーキングおよびスターバックスが開いてるくらいでして… - 結局、始発電車までだべってました。眠たかった…

写真はバーガーキングの朝メニュー。 - チキンにチーズがたっぷりかかっていてけっこういけた。
MRT(という名の地下鉄兼郊外電車。香港だとMTR。ややこし)で、とりあえず市街地に出てみました。 - 空港の案内センター(深夜は無人)に置いてある「ホテルガイド」によると、
- チャイナタウン周辺とゲイラン周辺に安宿が多いというので、
とりあえず市街地により近いチャイナタウンで探してみることにしました。
しかし、数件あたってどれも満室…とっとと荷物預けて身軽になりたい…
スコールは降ってくるし…
結局、その日最後に電話でお問い合わせしたところがめでたくオッケーだったので、そこで荷物を降ろして、
無事身軽になったとさ。めでたしめでたし。 - というわけで、身軽になったわしらは、とりあえず郊外の方へ向かってみるのでした。
Aにつづく

